ひなちゃんのお母さんが訪ねてきたという衝撃的なニュースに、わたしたちは喧嘩を中断して大急ぎでお店の裏口に向かいました。
「おかーさん!」
店に入るなりひなちゃんが大きな声を出しました。おじいちゃんと話をしていた人が振り返ります。
「ヒナチャン!」
うわあああ外人だ。金髪で碧眼。
ひなちゃんって、ここいらではあまり見かけない感じの子だなと思ってたらハーフだったんですね。
「おかーさん!」
「ヒナチャーン!」
ひし! 感動的な再会です。
「おそいよ。どこほっつきあるいてたの?」
「ゴメンネー! でも、ビッグなサプライズがあるのですよ。ダディを発見しましたよ!」
「おとーさん見つけたの?」
「イエース! ほら、ここに!」
「どこに?」
ひなちゃんのおかあさんは、周囲を見回し「あれ?」と言いました。
「オウノー! また消えましタ!」
「おとーさんまたきえた!」
な、なんだかたいへんそうです。
本当ならわたしも出ていって、一緒に再開を喜んで上げるべきなんでしょう……けど、今まで喧嘩してたのに急にコロっと態度を変えるのもなんだか、調子がいいような気がして……。
なんとなくその場に居づらくて、わたしはそっと裏口から出ました。そのまま家の裏側のあまり日が当らない片隅まで歩きました。そこはちょうどお風呂の裏で、大きなヤブツバキの木が生えています。
ん?
ヤブツバキの下で何かが動いています。近づいてみると、茶色いオスのニワトリさんです。
どうしてこんなところいるんでしょうか?
野良ニワトリさん? どこかの家のペットが逃げ出してきたんでしょうか?
ニワトリさんはコ・コ・コ・コ・コと頭を揺すりながらわたしに近づいてきました。
目が合うと、ぺこっと頭を下げました。
「あ、どうも」
つられてわたしも頭を下げます。
う、にわとりと挨拶しちゃった。
「どうしたの? 迷子になったの?」
「コケ」
「おなか空いてるの?」
「コケケ」
「あはは、なんだが言葉がわかるみたい」
「コケ」
ニワトリさんは、逃げるでもなく襲ってくるでもなく、じっとわたしを見上げています。
わたしはニワトリさんの横にしゃがみました。
「ねえ、にわとりさん。少しだけ、お話ししてもいい?」
「コケ?」
「あのね——わたし、大切なお友達を傷つけちゃったの。ひなちゃんはわたしを元気づけようと思ってただけなのに、わたしひなちゃんにひどいこと言ってしまって」
「コケ〜コケ」
「ひなちゃんが悪いんじゃないの。わたし、あのスープがお風呂の水だって分かっても、それでも、一瞬秘密にしてればばれないかもって思ったの。だってあんなに美味しいスープなんだもの。きっとおじいちゃんもわたしを認めてくれるって……」
わたしは、はあと深いため息をつきました。
「わたし、自分のことばっかり考えてた。思い通りにならないイライラをひなちゃんに、ぶつけたの。……最低だ、わたし」
「コケコケ〜」
にわとりさんも頷きます。そうだよね、最低だよね。
「ひなちゃん、わたしのこと嫌いになっちゃったかな……」
「おとーさ〜ん、どこ〜?」
ひなちゃんの声がして、わたしは驚いて立ち上がりました。こちらに近づいてくる気配から逃げるように、急いで物陰に隠れます。入れ換わりに、ひなちゃんの小さな足音が近づいてきました。後ろにはひなちゃんのお母さんもいます。
「あっ、いた。おかーさん、おとーさんいたよ!」
おとうさん?
「アナタ! こんな所ニ! チャーンとご挨拶しないとダメデスヨ!」
あなた?
「いやすまんすまん、いまちょっと彼女の悩みを聞いていて……おや? いなくなってしまった」
シャ、シャベッタアアアアアアアアアアア!!!!!
ニワトリさんが、なんの淀みもなくダンディな声で流暢な日本語をしゃべったあああああ!
「かのじょって?」
ひなちゃんが尋ねます。ニワトリさんが答えを言う前に、おじいちゃんの声がしました。
「旦那さん見つかったのかい?」
「見つかりましタ。オカゲサマデ!」
「ほお〜、こりゃまたずいぶん個性的な旦那さんだなあ」
「御挨拶が遅れて申し訳ありません。うちの娘がすっかりお世話になってしまったようで」
「な〜に、うちの店を手伝ってもらって、給料はらわにゃならんほどだよ」
「えへへ、あたしがんばったよ!」
おじいちゃん、普通にお話ししてるし!
「せっかくひなちゃんの両親がみえてんのに、みなせは挨拶もしないでどこへ行ったんだか」
「ああ、ひょっとしてさっきのが。彼女なら——」
ニワトリさんが、わたしが隠れている方を見ます。みんなそれに続いて、わたしはもう隠れきれません。
物陰から出て、みんなの視線を浴びると顔が熱くなりました。学校でみんなの前に出た時と同じで、パニックで何も言えません。
「みなせ、なにしてるんだ、そんなとこで」
「あ、あの……」
「ミナセちゃん! ヒナがお世話になってマース!」
「いえ、こちらこそ」
ひなちゃんと目が合いました。それまで笑っていたひなちゃんが、慌ててお母さんの後ろに隠れます。
分かっていたことなのに、わたしは少しショックを受けました。
やっぱり嫌われちゃったんだ。
夜はみんなでうどんパーティーです。腰の悪いうちのお父さんも出席して居間のちゃぶ台を囲みます。
わたしはおじいちゃんを手伝って、みんなのぶんのおうどんを茹でて運びます。あんまり居間に長居したくなくて、ことさら忙しいふうを装って、居間と台所をいったりきたりしています。
ひなちゃんはお母さんとお父さんの間に座って、美味しいを連呼しながらおうどんを食べています。昼間の喧嘩のことはもう忘れたような明るさですが、わたしと目が合うとその明るさに影がさすのです。
「へえ、大曲から帰るんですか? 秋田新幹線かなにかで?」
「いいえ、大曲からゲートが開くのです。玉川と雄物川の合流地点の辺りに」
「ほお〜」
ゲ、ゲート?
なんか、お父さんもおじいちゃんも普通に話してるんですけど、突っ込みたくなるのはわたしだけなのでしょうか。
どうも話を聞いていると、おじいちゃんはひなちゃんのお母さんと面識があるようです。
こんな不思議なことなのに、周りが普通にしていられると一人だけ騒ぐのはへんというか、そういうものなのかで納得してしまえるものなんですね、人間って。
「大曲に行くなら、花火大会を見て行けばいいのに」
お父さんが言いました。
「そういえば、今週末だな。そうだよ。せっかくだ」
おじいちゃんも同意します。
大曲の花火は、正式名称を全国花火競技大会といって日本で一番大きな花火大会なのです。
「ひなはなびみたい!」
「ファイアワークいいですネ!」
「ほう」
三人とも乗り気です。
「みなせ、おまえも一緒に行ったらどうだ?」
おじいちゃんが台所にいるわたしに声をかけます。わたしは麦茶の入ったやかんをもって部屋に戻ります。
「いいよ。せっかくの家族団らんなんだから」
ひなちゃんがわたしを見ています。でも目が合うと、慌てて目をそらしました。
「そうか」
わたしたちがずっと仲良しだったのを知っているので、おじいちゃんは不思議そうな顔をしています。
くすん。
わたしだって、笑顔でお見送りしたいけど。でも……。
結局謝ることができないまま夜が更けて、そして、朝になってしまいました。
大曲までは電車で四十分ほどですが、ひなちゃん一家は徒歩でいくとかで、朝ごはんが終わると草々に出発していきました。
ひなちゃんの明るい声が聞こえなくなった店は、なんだかいつもより広く感じます。
「おはようみなせちゃん」
柿本のおばちゃんがやってきて、レジの下に入れてるエプロンを付けます。
「ひなちゃん帰っちゃったの?」
「ええ」
「そう。まあ良かったわねえ、親御さんと会えて」
「ええ」
「みなせちゃん、残念そうね。姉妹みたいに仲良かったものね」
「……でも、お父さんとお母さんの所にいるのが一番ですから」
「そんなこと言って、寂しいんでしょ?」
「そりゃあ……少しは。でもいんです。わ、わたし、外のお掃除してきます!」
逃げるように外に出ます。お日様のまぶしさが目にしみます。今日も暑いです。
外を履きながら、ひなちゃんたちはどの辺りにいるんだろうと考えます。
あのスープの味が口の中に蘇ります。
もう二度と飲めない。あのスープ。すごく美味しかった。ひなちゃん、ごめんね。
わたしは、本当に色々と修行不足です。
お昼にテレビでも花火大会のニュースが流れていました。今年も例年以上の観光客が予想されるとかで、八十万人以上? すごい数です。
ひなちゃんたち、また迷子にならなければいいけど。
「おい、みなせ」
昼ごはんの食器を洗ってると、おじいちゃんが顔を出しました。
「どうしたの?」
「昼からはバイトいいから、おまえ、行って来い」
「え? どこへ?」
「どこへって、大曲の花火だよ!」
「……いい」
目を伏せたわたしをおじいちゃんが睨んでいます。
「なにがあったのか知らねえが、そういう意地は張らない方がいいんだぞ」
「いいの。ちゃんと朝、お見送りしたし。もう終わったことなんだから」
「みなせ!」
「わたし、打ち水してくる」
手早く洗いものを終えると、わたしはまた逃げ出しました。
朝から逃げてばっかりです。本当にこれでいいんでしょうか?
外はもう西日になり始めています。八月も後少しで終わり。遠くでひぐらしが泣いています。
なるで楽しい夢のような夏休みでした。この道でひなちゃんを見つけてから、一カ月しか経っていないのに、すごく長く一緒にいた気がします。
「みなせー! みなせー!」
耳の奥に、元気のいい声が幻のように響きます。今にもお店から、満面の笑顔を浮かべたひなちゃんが飛び出してきそうな。
……………はあ。
柿本さんも、おじいちゃんも今日はなんとなく元気がありませんでした。みんな顔には出さないけど、寂しがっています。
夕方から来てくださる常連さんたちもみんな「えっ、ひなちゃん帰っちゃったの?」とすごく驚いて、それから残念そうな顔をしました。
みんなひなちゃんが好きだったから。
だってひなちゃんはみんなに優しくて、いつも明るくて、とっても勇気があって、いい子だから。
日が暮れて行きます。花火大会の開始時間。今日はこの街からも見に行ってる人が多いから、お客さんは少なめです。
ひまなので、ついつい時計を見る回数が増えてしまいます。
ひなちゃんは、今頃ご両親と一緒に花火を見てるでしょうか?
「みなせ」
「えっ……はいっ!」
「ぼんやりして。仕事やる気がないなら今日はもうあがれ!」
「……ごめんなさい」
おじいちゃんは、はあ、とため息をつきました。
「なにをそんなに意地を張ってんだ?」
「意地なんて……」
「じゃあどうしてひなちゃんを見送ってやれなかったんだ? 可哀想に、悲しそうな顔してたぞ」
「ひなちゃんが?」
そんなはずありません。だって、わたし嫌われてしまったんですから。
「あんな小さな子にあんな顔させちゃいかん。お姉ちゃんなのに、おまえのほうがガキっぽいぞ」
「おじいちゃん、本当に? ひなちゃん、悲しそうな顔してたの?」
「ああ。みなせは花火に来ないのかって聞かれて、答えに困っちまったぞ」
わたしはお店の入り口にかかった時計を見ました。花火はもう始まっています。大曲まで、ここから大急ぎでいけば一時間。
「おじいちゃん……わたし……」
「行くならさっさと行って来い! ほら、小遣いだ」
おじいちゃんはポケットから一万円をさしだしました。
「ごめんね。後で絶対返すから!」
わたしはおじいちゃんからお金を受け取ると、着物のまま駆けだしました。
大曲駅に着いた途端、人、人、人、人で動けなくなりました。
なにしろ人口四万人ちょっとの小さな町に八十万人の観光客です。迷子は当然、迷い大人やツアーのガイドさんまで迷うという迷宮のような混雑です。
この中から人を見つけ出すなんて、地球外生命体を見つけ出すくらいの難易度な気が……。
ううん。ここまで来た以上諦められません。
まったく手掛かりがないわけじゃありません。合流の方に行くといってました。電車の中で携帯の地図で調べたんです。花火会場からなら、丸子橋を通ってずーっと川沿いに行くのが一番近道だからその道をいくはず。
追いかければ、きっと会える。
ちょうど花火が終わった時間らしく、駅へ戻ってくる人ごみで一歩も進めない状況です。人を押しのけながら進むしかありません。
「すいません! 通してください!」
みなさんごめんなさい。でも、もう二度と会えないかもしれないんです。
だから、一言だけでもちゃんと。
ごめんね、って。
「ひなちゃん! いませんか? ひなちゃん!」
大きな声で名前を呼んでは周囲を見回して探します。迷子かな、と周りの皆さんが心配そうな顔をします。
「ひなちゃん!」
花火を見た興奮が冷めやらない楽しげな雰囲気をかきわけて、わたしはひなちゃんを探します。
花火会場と駅を結ぶ道から外れると、人の密度はだんだん薄くなり始めて、気が付くと周りにはもうちらほらと人が歩いているだけになっています。
「ひなちゃん!」
やっぱり無理なんでしょうか? こんな中から人を見つけるなんて。
どうして昨日ちゃんと謝れなかったんだろう。昨日だったら、ひなちゃんはすぐそこにいたのに。わたしはヘンに意地を張って。馬鹿だ。わたし。
どうして笑顔で見送りしてあげられなかったんでしょう。
ひなちゃんはあんなに一生懸命お店を手伝ってくれたのに。
わたしのうどんをおいしいって言ってくれたのに。
わたしのこと大好きって言ってくれたのに。
神様、お願いします。もう一度だけ、ひなちゃんに会わせてください。
「ひなちゃん!」
コケコッコー!!!!!
朱を告げるはずのニワトリさんの鳴き声が暗やみに甲高く響きました。
周囲の人は何事かと驚いています。
わたしも一瞬面くらいました。だけど、すぐに分かりました。
「ひなちゃん! どこ? ひなちゃん!」
わたしは必死に姿を探します。ニワトリさんを抱いた、女の子の姿を。
そして、見つけました。
見間違いじゃありません。闇にもよく目立つ鮮やかな栗色の髪に、卵の形のかわいい髪飾り。
「ひなちゃん!」
「みなせ?」
ひなちゃんはすごく驚いています。当然です。そしてまた、少し恐れるような顔をわたしに向けました。
でもわたしは今度は逃げません。
「ひなちゃん、ごめんね……。
ひなちゃんはわたしを元気づけようと思ってただけなのに、あんなに怒鳴ったりして本当に……本当にごめんね!
わたし、怖かったの。きつく否定しないと、お客様を裏切ってしまいそうになる自分が。
だって、あのスープ本当においしかったから。わたし、あんな美味しいスープ飲んだことないよ」
ひなちゃんは困惑したような顔でじっとわたしを見ています。わたしを見つめる大きな目にじわりと涙が滲みました。
「……みなせ……みなせー!」
ひなちゃんが駆けだします。思いっきり走って、そのままわたしに抱きつきました。
「みなせー! みなせみなせみなせー!」
「ひなちゃん!」
わたしたちはしっかり抱き合いました。ひなちゃんが泣いて、わたしも泣きました。
周りの人は何事かと驚いています。
ひなちゃんのお母さんはニコニコ顔でわたしたちを見守っています。
お母さんに抱かれて、ひなちゃんのお父さんはひと仕事終えた満足そうな顔をしています。
やっと仲直りできました。