暑いです。
あとちょっとで夏休み。でもその前に、ううー、頭の痛い期末試験です。
おじいちゃんは厳しい人なので、うどん修行を勉強をサボる言い訳にはできないのです。
がんばろう期末試験。
そんなわけでお昼休みは図書館で勉強です。
なんで図書館なのかというと、友達がいない教室にはちょっといづらいから……。
ちなみに、今日のお昼ごはんもうどん弁当でした。こんなに毎日うどんなのに食べ飽きないわたしって、どこかへんなんでしょうか?
あの輝くようなつるつる感。すべらかで——、それでいてしこしこした歯ごたえがあって、食べても食べても食べ飽きない——。
ああ……、稲庭うどんがある国に生まれてよかった。
と、お勉強お勉強。
うちの学校は教室にエアコンがないので、昼休みにはエアコンがある図書室に避難してくる人が多いです。
勉強してる人もいるけど、漫画を読んでる人や、携帯をいじってる人もいます。女の子たちは顔を寄せ合ってひそひそ話で盛り上がっています。
「そそ、一階がクリーニング屋の茶色いビルの斜め前。あそこのクリームチーズムースがもうね、とろりんぷるんふわ〜って感じで」
「かほちゃんクリームチーズケーキ好きだもんね〜」
「美郷も食べてみなって。一気に信者クラスだから!」
かほちゃんというのは、うちのクラスの菊池かほさん、美郷は清水美郷さんです。小柄でメガネをかけていておとなしめの漫画好きが清水さんで、緩やかにウェーブした栗色の髪をいじるくせがあるのが菊池さん。外見は対象的だけど、いつもいっしょにいます。
「いいけどさ〜、かほちゃんこないだダイエット宣言してなかった? ケーキ食べてていいの?」
「う……ぐ。クリームチーズケーキは別計算だからいいのっ!」
「またそんなこと言って〜、今年もだめだねコレは」
混ざりたいなぁ。
あ、でもわたしうどんしか話題がない。困ったな。いきなりうどんじゃ引かれそう。
そうだ、ひなちゃんのこととか? とっても可愛い女の子を預かることになったんです。うどんが大好きで、毎日食べてます。みんなもわたしの手作りうどん食べにきませんか?
おかしいやっぱりうどんの話になってる。
所詮わたしにはうどんがすべてなんですね。
だってわたしの夏の目標は、今年こそお客様に出せる美味しいうどんを打てるようになること。
これって、結構大きな目標です。お客様に出せるということは、おじいちゃんに認めてもらえるってことですから。
ちょうど今はひなちゃんという素敵な試食人がいます。まだ小さいのに、うどんの味が分かるなんてなんて見どころがある子です。
……あ。
午後の授業の予鈴が鳴りました。周りの人たちが伸びをしながら立ち上がり始めています。
わたしも教室に戻ろう。
午後イチの授業は数学です。数学の矢野先生は板書が大好きなのでノートを取るのが大変です。
って、あれ?
ノートが見当たりません。
あれ? あれ? あれ? 忘れてきた?
ううん。さっき見た覚えがあります。
あっ!
ひょっとしたら、図書室に忘れてきてしまったかも——。早く取りに行かないと、もう先生が来てしまいます。
慌てていたものだから、立ち上がる時にガタンガタンと派手に椅子を鳴らしてしまいました。でも、それを心配してる場合じゃありません。普段は
らない廊下を今だけ全力疾走で図書室に向かいます。勢いよくバーンってドアを開けると、休憩モードに入っていた図書館司書の先生が新聞から顔を上げました。
「あっ、あのっ……すいませんっ、数学のノート忘れもので届いていませんか?」
先生が「ん?」と眉を寄せました。
「授業は?」
「あのっ、次の授業のノートをここに忘れてしまったみたいなんです。三年四組の稲川みなせです」
先生は、不審そうな表情のまま確認しました。
「届いてないよ」
あっさり言われてがっかりです。自習机の周りにもありませんでした、絶対にここに忘れたはずなのに。
さらに間の悪いことに、教室に戻ったら授業が始まっていました。
そーっと後ろのドアから入ったわたしを、矢野先生がじろりっと睨みます。
「あ、あの、すいません……ちょっとトイレに……」
長々と説明したくなかったので、適当な言い訳を口にします。先生はムスっとしつつも「早く座りなさい」と、それ以上追及はしませんでした。
くすん……最悪です。
授業はなんとか乗り切りましたが、ノートの行方が気になってぜんぜん集中できませんでした。
「あのう、ちょっといいですか?」
放課後、どん底な気分で教室を出ようとしていたわたしを清水さんが呼び止めました。
「これ、ひょっとすると、稲川さんのノートじゃありませんか?」
そう言って清水さんが差し出したのは、確かに見覚えのある青色の——。
「わたしの数学のノート」
「やっぱりー、かなちゃんやっぱそうだって〜」
少し離れたところでかばんに荷物を詰め終わった菊池さんが駆け寄ってきました。
「稲川さんのだったんだ。名前なかったからさー」
「えっ、あっほんとだ……。す、すいません。書き忘れてたみたい」
「ねねね、さっき中見たんだけどさ、すっごい綺麗だよね」
「え? あ、ありがとうございます」
「でさ、でさ、でさ。よかったらら、ちょこーっとだけこれ借りたりとかできない?」
「えっ?」
「実はさぁ、二回くらい意識なくなっててノートがやばい回があるんだよね。だからそこだけコピーさせて、ねっ、オ・ネ・ガ・イ!」
「え、でも……」
わたしはチラと清水さんを気にします。だって、清水さんに借りればいいんじゃ?
「あーだめだめ、美郷は推薦で数学ないからさー、授業中はずっと漫画描いてサボってんのよね」
テヘと清水さんが照れます。
「だから、お願いー! ホントーにちょっとだけ!」
「え……それは、別に……いい……です……けど」
「まじでー。愛してる!」
「えっ!」
頬が上気するのを感じます。だって、なんだか急に夢が叶ったみたいな。でも不遇な時間が長かったので、すぐには幸せを信じられません。
「あの、でも……いいんですか?」
「なにが?」
「私ので——」
「別にー、え? ひょっとして迷惑?」
「いえいえいえいえ、そんなことないです! ぜひ見てください、いくらでも使ってください!」
ついつい力説してしまい、気がつくと二人とも呆気にとられています。
「あ……」
「なんかー、稲川さんおもしろい」
「今のだけで印象かわったねー」
「え……と」
「稲川さんてさー、キレイ系だし、なんか話しかけにくい空気あったからさー。でも意外と天然なんだね」
「だよね〜、萌えだ」
「萌えだね」
ああ、頬が熱い。
「はーい、おうどんができましたよ〜」
「わーい」
ドンと机に乗せたうどんに、ひなちゃんが飛びつきます。
まずはつるつるっと食べて、それから不思議そうにわたしを見上げました。
「みなせ、かおきもい」
「えっ?」
「ニヤニヤしてる。なんかきもい」
「そ、そうかな?」
「おうどんおいしいから、ひなもにやってなるけどね」
とひなちゃんがにんまりと微笑みます。
「ありがとう。ひなちゃんが美味しいって言ってくれるから、わたしとても自信がつくよ」
「ひなおりこう?」
「うん。おりこうおりこう」
「えへへー」
ほんとにお世辞じゃなく、ひなちゃんが来たからかもしれない。
ひなちゃんはきっと私のラッキーエンジェルなんです。
「あのね、わたし友達ができそうなの。明日友達にもうどん弁当持っていくって約束してて、今からそれを作ろうと思ってるの。美味しいって言ってもらえると思う?」
「うん。だっておいしいもーん」
「そうだよね!」
おうどんは普通打って作りますが、稲庭うどんはそうめんと同じように延ばして作ります。丁寧な手延べの作業があのつるつるした滑らかさと、独特のコシを作ります。
この作り方は、江戸時代の初期に佐藤市兵衛という人がお殿様に献上するために作ったのが始まりだそうです。その後、明治になって庶民の口にも入るようになり、ここ湯沢の名物になったのです。
伝統を大切に守り育ててきた湯沢の魂をわたしも受け継いでいます。
「わたしがんばるね!」
「ひなもがんばるー! きょうもおみせがんばったよー! あのねー、おきゃくさんにだすときに、おまたせしましたっていうの」
「うんうん」
ひなちゃんは最近、わたしが学校に行ってるあいだお店のお手伝いをするようになりました。結構評判がいいみたいで、ひなちゃんに会いにくる常連さんもいるとか。うどんの味が分かる上に、接客もできちゃう九歳。すごいです!
五代目候補としては、負けられません!
「わ〜、これ稲川さんが作ったの? すごーい」
「美味しそう」
「どうぞ! 食べてください」
いつものよるも大型のタッパーには、張り切って早朝から作ったうどんがぎっしりつまっています。ステンレスの水筒で持ってきた冷えたつゆに、小さいタッパーにいれた薬味を入れて渡すと、菊池さんと清水さんはさっそくつるつるはじめます。
「おいしい〜、ね、美味しいねかなちゃん」
「うん、おいしい」
「ホ、ホントですか? おいしいですか?」
「そんな怖い顔しなくても」
「あっ、すっ、すいません。つい」
恥ずかしくて両手で顔を隠すと、菊池さんはぷぷっと吹き出して笑いだした。
「いやー、意外だわ。まさか稲川さんがこういうキャラだったとは」
「あの……、昨日もそんなこと言われてましたけど、わたし、いったいどういうキャラだと思われていたんでしょうか?」
おそるおそる聞いてみます。菊池さんと清水さんは顔を見合わせています。なんだか言いにくそう。
「え、えっとさ。ほらぁ、稲川さんって普段からあんまり教室にいないし、いても一人でいることが多いからさ、なんかよくわかんなかったんだよね正直」
「そ、そうですか?」
「そーそー、それにさ、あんまり笑わないし。なんか怖い感じ?」
「わ、わたしそんな」
「稲川さん綺麗だからさ。美人は怖い感じになるんだよ」
「そーなんだよね。なんか下手に声かけたら、悪いみたいな?」
「わたし、みなさんに嫌われてるのかと思っていたから、教室にいづらくて……」
「嫌ってないよ、ね」
「うんうん」
「嬉しいです」
「うちらもラッキーだよ。おいしいうどんまでごちそうになっちゃってさ」
「うんうん」
「また作ってきます。わたし、うどんだけは自信があるんです!」
おじいちゃん、お父さん、お母さん、ひなちゃん! わたし、やりました! わたしのうどん、菊池さんも清水さんも美味しいって言ってくれました!
嬉しいです!
天にも昇る気持ちってこういうことですね。
明日もがんばって、うんとたくさんうどんを茹でていこう!
きっとまた喜んでくれます!
…………。
………………。
「みなせー?」
ひなちゃんが部屋にはいってきました。
「あれれ? おへやくらいよー、でんきつけようよ」
ごめん……。今そんな気分になれなくて。
「みなせー? ねてるのーごはんはー?」
ごはん……。ああ、晩御飯を作らなきゃ。ひなちゃんお腹すかせてるだろうし、お父さんやおじいちゃんのも。
でも……。
ひなちゃんが部屋の電気を付けました。
「みなせ?」
ひなちゃんが近づいてきます。雨戸を閉めっぱなしの部屋で、ベッドの端にうずくまってぼーっとしてる私の横にちょんと座ります。
「どーしたの? みなせ、びょうき?」
ひなちゃんの小さな手がわたしの額に触れます。
「だいじょうぶ?」
「うん……大丈夫。ごめんね、すぐ晩御飯作るね」
ひなちゃんに顔を覗きこまれて、すごくバツが悪いです。
「みなせ、おめめあかいよ」
「う……ごめんね。ほんと、大丈夫だから」
腰を上げようとして、力が入らなくてまたストンと尻もちをつきます。
「……ひなちゃん、わたし、嫌われちゃったかもしれない」
ひなちゃんは何が何だかわからないという顔。そりゃそうです。だって今日もまたたくさんのおうどんを茹でて、はっぴーるんるん気分で登校したんですから。
そう、お昼までは幸せだったんです。
初めて出きたお友達に、またうどんを褒めて欲しくて。
確かに「また作ってきます」って言ったけど、それが今日とは約束していませんでした。
二人ともお弁当持ってきていて、私の巨大タッパーを見て、顔がこわばってました。
「あ、じゃ……せっかくだからもらおうか!」
「う……うん、そーだよね!」
って言ってくれたけど、絶対ドン引きしてました。菊池さん、ダイエットしてるのに、お腹が苦しくなるまで食べてくれて……しかも、それでも食べきれないほどあったんです。わたし、どれだけ舞い上がってたんだって話です。
きっと呆れられました。嫌われちゃったかも。
口下手なわたしの説明を、ひなちゃんはじっと聞いていてくれました。わたし、だめなやつです。こんな小さな子に心配かけちゃうなんて。
ううう……また泣きたくなってきた。
「みなせ、げんきだして。みなせをなかすやつは、ひながたおしてあげるよ」
「ううん。私が自分で失敗しちゃっただけなの。だから誰も倒さなくていいんだよ」
「ひなもしっぱいするよ。でもねーしっぱいしても、みずにながせばせーふなんだって。
だからいつもおふろにいくよ。みなせもおふろにいこー」
「お風呂……、そうだね。ご飯の前に一緒にお風呂入ろうか」
うちは家は古いですが、タイル張りのお風呂は湯船が広くて私のお気に入りです。
「ふう……」
熱い湯船に浸かっていると、落ち込んでいた気持も湯気と一緒に消えていく気がします。
「ひなちゃんは、お父さんを探す旅をしてたんだよね。お風呂はいつもどうしてたの?」
「せんとーとか、あとこうえんとか」
「公園?」
「こーえんのすいどう」
あまり深くつっこむのはやめておきましょう。九歳ですが、ずっと旅をしていて学校には行ってないらしいですし、不思議な子です。なにか深い事情でもあるんでしょうか?
「おふろあつくない? みなせのぼせない?」
「ん? ちょっと埋める?」
「ひなおふろがあついと、おふろがおいしくなっちゃうの。まえにせんとーもおいしくしちゃっておかーさんにおこられた」
「?」
熱いと、美味しい? 何の話でしょうか?
「夏は熱いお風呂に入ったほうが、出た後気持がいいんだよ。ぬるめのシャワーで体を洗って、ちょっとほてりを冷まそうか」
髪を洗って、汗を流して、熱いお風呂の後は夕方のぬるい空気も涼しく感じられます。あんなに重かった気持も、少し上向いてきました。
お風呂ってすごい。
そしてひなちゃん、ありがとう。
菊池さんと清水さんには、明日ちゃんと謝ろう。
わたし頑張ります。